50│2020年12月06日 降誕前節3 旧約における神の言

週    句

身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。
ルカによる福音書21:28
説  教  「旧約における神の言」

イザヤ59:12~20、ローマ16:25~27、マタイ13:53~58、詩編96:1~13。
人々はずっと主の来臨を希望しています。しかし、その日がいつ来るかは誰も知りません。
神の計画は人の目には隠されていますが、この計画はイエス・キリストの来臨として実現されます。「この福音は、世々にわたって隠されていた、秘められた計画を啓示するもの」(ローマ16:25)です。ところが、人々は主の来臨の希望を持っているにもかかわらず、神の計画に気づきません。それは、「人々が不信仰だった」(マタイ13:58)からです。
不信仰とは神の言葉を聞かないことを指しています。旧約聖書の昔から神は直接に、また預言者を通して、この世界に語りかけてこられました。しかし、自分たちに都合の良い言葉ばかり求める人々は、神の言葉に躓きます。自分の常識から外れている事柄に目を閉ざします。事実、イエスが誕生した後も、人々は自分の思い込みを押しつけ、救い主であることを認めようとしませんでした。(マタイ13:57)
そのような不信仰に対して神は「人の業に従って報い」(イザヤ59:18)「諸国の民を公平に」(詩編96:10)裁かれます。この神の公平さもまた、私たちの躓きの原因となり得ます。「何をしても裁かれるという事実が変わらないならば、信じても無駄だ」と。福音に躓き、不信仰となり得るのです。
しかし同時に神は、罪を悔いる者を救うとも言われています。「主は贖うものとして、シオンに来られる。ヤコブのうちの罪を悔いる者として来」(イザヤ59:20)られるのです。そうであるならば、今こそこの神の言葉に応え、「背きの罪はわたしたちと共にあり/私たちは自分の咎を知っている」(イザヤ59:12)と自らを省みる時です。そして、しっかりと神の言葉に聞きつつ、来るべき「その日」を待ち望みましょう。
「礼拝と音楽」より