06│2022年02月06日 降誕節7 たとえで語るキリスト

週 句 その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。
    聖書 マルコ13章32節
説 教 「まず、食べさせなさい」高橋周也牧師 
    聖書 マルコ7章24-30

「異邦人をも家族に」
仕事の都合で東京の他派の教会へ通っていた頃、ある印象的な新来者との出会いがあります。礼拝後の昼食に、その方がおっしゃいました。「ここの教会は礼拝に出ないとお昼を食べさせてもらえないんですね・・・」
実はそこからそう遠くない所に毎週のように炊き出しをしている教会があり、生活に困窮しておられたその方は、教会に来れば何か食べさせてもらえるだろうと思っていたようでした。受付で食事について尋ねたところ、どうやら大変親切に「礼拝の後に愛餐会をしていますよ。ひとり200円です」と案内されたらしいのです。返事をする間もなく聖書と賛美歌を押しつけられてはもはや断り切れず、仕方なく座っていましたとおっしゃいました。
このミスマッチのエピソードから考えられることはいろいろあると思うのですが、一般的に教会は、礼拝を経由しないと入りにくい状態になっているということは、ひとつ言えそうです。
ところで、ある本では日本のお寺を二階建て構造と分析しています。1Fが先祖教(檀家)で2Fが仏道(生者のための活動/地域への奉仕など)としたうえで、これまで日本のお寺は1Fの経済で2Fを回して来たけれども、1Fが高齢化などの要因で困窮し、2Fの活動に支障をきたしていると分析しています。かつてのイエ制度とは異なるあり方で、けれどもつながりやキズナが求められている現代日本社会にあっては2Fの機能がより求められている。けれども、玄関は1Fにしかないので、お寺の敷居は高いというのです。だから問題は、直接2Fにつながる外階段をいかに設けるかである、と指摘しています。教会にも似たようなところがありそうです。
さて、イエス様ははじめのうちギリシア人(ユダヤ人以外の異教徒)に対して門戸を開いてはいませんでした。しかしここでの対話を経て、この女性は福音書に記録された最初の異邦人となりました。主の家には、もはや律法や出生主義といったユダヤ教に存在した「1F」は存在しないのです。