週句 悔い改めて、お前たちのすべての背きから立ち帰れ。
エゼキエル18章30節
エゼキエル18章30節
説教 「敵も種を蒔いて行った」 牧師:高橋周也
マタイ13章24~43節
「人間と共に課題を担う神」
本日の聖書箇所で、毒麦は敵が蒔(ま)いて行った種から出たものです。この敵が誰なのか、その敵にどう対処すべきなのかといったことは、この箇所には書いてありません。しかし人間には気がつかない間(眠っている間)に、いつの間にか、神様の作られた良い畑であるはずのこの世界には、私たちの目には明らかに悪と映る事態が起こります。それを見て人々は、「どこから毒麦が入ったのでしょう」と訝(いぶか)ります。
主人だけが、誰にもわからなかったその原因を知っていました。しもべたちは気を利かせて「では、行って抜き集めておきましょうか」と尋ねましたが、主人は、「刈り入れまで両方とも育つままにしておきなさい」と命じます。その理由は、「毒麦を集めるとき、(良いほうの)麦まで一緒に抜くかもしれないから」です。雑草の方が、本来植えた麦より根が深いからかもしれませんが、もしかしたら主人からみれば、このしもべたちには、そもそも本当には見分ける力がないからかもしれません。
わけのわからないこと、「毒」としか思えない事態が起こる時、人はいつもその状況を口実にして、自らの敵を責め、攻撃し、復讐(ふくしゅう)しようとします。しかし聖書の教えによれば、その相手である敵も、自分も、自分の味方も、人はすべて神から出たものであり、(良いほうの)麦なのです。「敵」が蒔いて行ったような人間は存在しないのです。
自分の畑で、大切な自分の畑に「毒麦」があるのを育つままにしておかなければならない主人(神)こそ、実は最も犠牲を払いながら、心痛めながら、畑を管理し続けなければならないのです。しかし、良い麦の収穫を期待するがために、忍耐してその育ちに期待し、人々と苦しみを共有する神の決意が、ここに描かれています。
マタイ13章24~43節
「人間と共に課題を担う神」
本日の聖書箇所で、毒麦は敵が蒔(ま)いて行った種から出たものです。この敵が誰なのか、その敵にどう対処すべきなのかといったことは、この箇所には書いてありません。しかし人間には気がつかない間(眠っている間)に、いつの間にか、神様の作られた良い畑であるはずのこの世界には、私たちの目には明らかに悪と映る事態が起こります。それを見て人々は、「どこから毒麦が入ったのでしょう」と訝(いぶか)ります。
主人だけが、誰にもわからなかったその原因を知っていました。しもべたちは気を利かせて「では、行って抜き集めておきましょうか」と尋ねましたが、主人は、「刈り入れまで両方とも育つままにしておきなさい」と命じます。その理由は、「毒麦を集めるとき、(良いほうの)麦まで一緒に抜くかもしれないから」です。雑草の方が、本来植えた麦より根が深いからかもしれませんが、もしかしたら主人からみれば、このしもべたちには、そもそも本当には見分ける力がないからかもしれません。
わけのわからないこと、「毒」としか思えない事態が起こる時、人はいつもその状況を口実にして、自らの敵を責め、攻撃し、復讐(ふくしゅう)しようとします。しかし聖書の教えによれば、その相手である敵も、自分も、自分の味方も、人はすべて神から出たものであり、(良いほうの)麦なのです。「敵」が蒔いて行ったような人間は存在しないのです。
自分の畑で、大切な自分の畑に「毒麦」があるのを育つままにしておかなければならない主人(神)こそ、実は最も犠牲を払いながら、心痛めながら、畑を管理し続けなければならないのです。しかし、良い麦の収穫を期待するがために、忍耐してその育ちに期待し、人々と苦しみを共有する神の決意が、ここに描かれています。