週 句
私たちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に更に恵みを受けた。
ヨハネによる福音書1:16
私たちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に更に恵みを受けた。
ヨハネによる福音書1:16
説 教 「十字架の言葉」
最初の弟子たち
エゼキエル2:1~3:4、黙示10:8~11、マタイ4:18~25、詩編40:6~10。
ヨルダン川で洗礼を受けられたイエスは救いの完成への道を歩み始められました。救いの業はイエスのみでも完成しうるのですが、神は人を用いられます。
最初に招かれたのはガリラヤ湖の漁師たちでした。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(マタイ4:19)との呼びかけに応えて彼らは従います。漁師が網を打って魚を漁るように、イエスの言葉は人を漁ります。
しかし、イエスに従うとは、ただついて行くだけではありません。イエスの口から発せられる神の言葉を聞かねばなりません。しかも、ただ聞くだけではなく、「わたしが与えるこの巻物を胃袋に入れ、腹を満た」(エゼ3:3)すように、しっかりと受け止めることが大切です。神の言葉は「あなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い」(黙示10:9)もの。そして、受け止めたその言葉たちを今度は自分の唇で、「わたしの言葉を彼らに語」(エゼ3:4)っていく。これがイエスに従うということです。
その道は簡単なことではないでしょう。しかし、どのような苦難があろうとも、「御旨を行うことをわたしは望み……正しく良い知らせを伝え/決して唇を閉じ」(詩編40:9~10)ることなく語り続けることが求められています。
今日1月17日は阪神淡路大震災の起こった日です。あれから26年、苦労しつつも人々は神の思いに応えてきました。絶望の中にも主はいつも共におられるとの確信が人を生かし、そして人はその喜びの知らせを語り続けてきました。私たちもその後に続きたい。私たちもまたどのような状況に置かれようともしっかりと神の言葉に聞き、受け止め、自分の口で語っていきたい。一人一人がそう願う時、救いは着実に完成へと向かっているのです。
「礼拝と音楽」より
最初の弟子たち
エゼキエル2:1~3:4、黙示10:8~11、マタイ4:18~25、詩編40:6~10。
ヨルダン川で洗礼を受けられたイエスは救いの完成への道を歩み始められました。救いの業はイエスのみでも完成しうるのですが、神は人を用いられます。
最初に招かれたのはガリラヤ湖の漁師たちでした。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(マタイ4:19)との呼びかけに応えて彼らは従います。漁師が網を打って魚を漁るように、イエスの言葉は人を漁ります。
しかし、イエスに従うとは、ただついて行くだけではありません。イエスの口から発せられる神の言葉を聞かねばなりません。しかも、ただ聞くだけではなく、「わたしが与えるこの巻物を胃袋に入れ、腹を満た」(エゼ3:3)すように、しっかりと受け止めることが大切です。神の言葉は「あなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い」(黙示10:9)もの。そして、受け止めたその言葉たちを今度は自分の唇で、「わたしの言葉を彼らに語」(エゼ3:4)っていく。これがイエスに従うということです。
その道は簡単なことではないでしょう。しかし、どのような苦難があろうとも、「御旨を行うことをわたしは望み……正しく良い知らせを伝え/決して唇を閉じ」(詩編40:9~10)ることなく語り続けることが求められています。
今日1月17日は阪神淡路大震災の起こった日です。あれから26年、苦労しつつも人々は神の思いに応えてきました。絶望の中にも主はいつも共におられるとの確信が人を生かし、そして人はその喜びの知らせを語り続けてきました。私たちもその後に続きたい。私たちもまたどのような状況に置かれようともしっかりと神の言葉に聞き、受け止め、自分の口で語っていきたい。一人一人がそう願う時、救いは着実に完成へと向かっているのです。
「礼拝と音楽」より