週 句
主よ、あなたがいやしてくださるなら、わたしはいやされます。
エレミヤ書17:14
主よ、あなたがいやしてくださるなら、わたしはいやされます。
エレミヤ書17:14
説 教 「天国に市民権を持つ者」
エレ29:1,4~14、フィリ3:7~21、ヨハ17:13~26、詩編34:16~23。
「完全な者」と聞くと、果たしてそのような者があるのかと考えてしまいます。しかし、初代教会の時代、パウロに敵対する人たちは自分たちのことを「完全な者」と自己認識し、自称していたようです。パウロはそれを逆用して、完全なものとなっていない自分が目標を目指して生きるということ、ひたすら「全身を向け」ひたむきに走る姿をキリスト者のなすべき生き方としてたとえています。
パウロは「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ…」(13節)と教えますが、信仰者の多様な生き方を一言で言い表すことはできず、また他には目をくれず、ただひたすら前を見ていくということが唯一絶対とは言えないように思います。道に迷ったり、後ろを振り向いたり、躓いたりを繰り返し、それでも、もう一度前を向いてという表現の方が私たちの現実に近いでしょう。この世の波風の中で、それでも私たちが前を向いてキリストに従い行く。その先にある希望が「私たちの本国は天にあります」(20節)という言葉に集約されているように思います。
「地方」と呼ばれる地域にあって懸命に信仰の歩みをなされ、教会を愛し、教会を守り福音を証しし続けてこられた方々との出会いが数多く与えられました。この世の価値観による数や規模という視点からすれば決して多さや大きさの中にはなく、それぞれの地域特有の課題や難しさ、そこから生じる困難に直面し続けながら、それでも喜びをもって主に仕える歩みを貫いて行かれた姿からいつも学ばされています。そしてその歩む先の希望としていつも示されるのが、「わたしたちの本国」という事柄なのだろうと思います。
同じ地で歩んできた方々が召された知らせをしばしば受ける時、先にある希望を見据えて歩み続けられた姿を思い起こしつつ、信仰の友、先達方の歩みを受け継ぎ「目標を目指してひたすら走る」ことをなしていきたいという思いを新たにされるのです。
「礼拝と音楽」より
エレ29:1,4~14、フィリ3:7~21、ヨハ17:13~26、詩編34:16~23。
「完全な者」と聞くと、果たしてそのような者があるのかと考えてしまいます。しかし、初代教会の時代、パウロに敵対する人たちは自分たちのことを「完全な者」と自己認識し、自称していたようです。パウロはそれを逆用して、完全なものとなっていない自分が目標を目指して生きるということ、ひたすら「全身を向け」ひたむきに走る姿をキリスト者のなすべき生き方としてたとえています。
パウロは「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ…」(13節)と教えますが、信仰者の多様な生き方を一言で言い表すことはできず、また他には目をくれず、ただひたすら前を見ていくということが唯一絶対とは言えないように思います。道に迷ったり、後ろを振り向いたり、躓いたりを繰り返し、それでも、もう一度前を向いてという表現の方が私たちの現実に近いでしょう。この世の波風の中で、それでも私たちが前を向いてキリストに従い行く。その先にある希望が「私たちの本国は天にあります」(20節)という言葉に集約されているように思います。
「地方」と呼ばれる地域にあって懸命に信仰の歩みをなされ、教会を愛し、教会を守り福音を証しし続けてこられた方々との出会いが数多く与えられました。この世の価値観による数や規模という視点からすれば決して多さや大きさの中にはなく、それぞれの地域特有の課題や難しさ、そこから生じる困難に直面し続けながら、それでも喜びをもって主に仕える歩みを貫いて行かれた姿からいつも学ばされています。そしてその歩む先の希望としていつも示されるのが、「わたしたちの本国」という事柄なのだろうと思います。
同じ地で歩んできた方々が召された知らせをしばしば受ける時、先にある希望を見据えて歩み続けられた姿を思い起こしつつ、信仰の友、先達方の歩みを受け継ぎ「目標を目指してひたすら走る」ことをなしていきたいという思いを新たにされるのです。
「礼拝と音楽」より