週 句
人の子は、失われた者を探して、救うために来たのである。
ルカによる福音書 19:10
人の子は、失われた者を探して、救うために来たのである。
ルカによる福音書 19:10
説 教 「この慈善の業においても豊かな者となる」 :梅田 環
生涯の献げもの
申26:1~11、Ⅱコリ8:1~15、マタ5:21~37、詩14:1~7。
あなたがたは、……すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい。
コリントの信徒への手紙 二 8:7
この箇所(Ⅱコリ8:1~15)は、使徒パウロがエルサレム教会の困窮への支援をコリントの人々に求めた言葉です。パウロはこの募金を「慈善の業」と呼んでいます。原語は「恵み」という言葉です。
パウロはこの言葉を、わたしたちが想像する以上の深い意味をもって使っています。使徒職を自覚させられた時も、「恵み」が与えられたと表現しますが(ガラ1:15/2:9)、彼にとって、「恵み」とは、神の特別な愛と使命(神の求め)が臨むことであり、それに応えつつ生きる所に押し出されることでした。彼の使徒としての生涯は苦難の連続ですから、それを「恵み」と呼ぶのは、「神が召しを与えてくださることは、自らへの愛と憐れみのしるしであって、その召しがいかに厳しくても、それに応えることは幸いなことだ」という、彼の信仰があってのことでした。
ですから、ここでも、キリストの恵みを語り、それに応えるよう促します。マケドニアの信徒たちが、迫害と貧困の中にあるにもかかわらず、力以上に献げたことを語り、献金とは、主イエスに自分自身を献げることだと教えるのです。
互いの欠乏を補い合うことは「釣り合いがとれる」ことであると説明するために、出エジプトの際、マナが与えられたことを引き合いに出します。教会が導かれて来たのは、イスラエルの民が奇跡をもって導かれたのと同じようなもので、神の憐れみと赦しがあってのものです。そのしるしとして、天から与えられたマナを分けていたように、今、神から与えられたものを分けることが平等なのだ、と語ります。
生涯の献げもの
申26:1~11、Ⅱコリ8:1~15、マタ5:21~37、詩14:1~7。
あなたがたは、……すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい。
コリントの信徒への手紙 二 8:7
この箇所(Ⅱコリ8:1~15)は、使徒パウロがエルサレム教会の困窮への支援をコリントの人々に求めた言葉です。パウロはこの募金を「慈善の業」と呼んでいます。原語は「恵み」という言葉です。
パウロはこの言葉を、わたしたちが想像する以上の深い意味をもって使っています。使徒職を自覚させられた時も、「恵み」が与えられたと表現しますが(ガラ1:15/2:9)、彼にとって、「恵み」とは、神の特別な愛と使命(神の求め)が臨むことであり、それに応えつつ生きる所に押し出されることでした。彼の使徒としての生涯は苦難の連続ですから、それを「恵み」と呼ぶのは、「神が召しを与えてくださることは、自らへの愛と憐れみのしるしであって、その召しがいかに厳しくても、それに応えることは幸いなことだ」という、彼の信仰があってのことでした。
ですから、ここでも、キリストの恵みを語り、それに応えるよう促します。マケドニアの信徒たちが、迫害と貧困の中にあるにもかかわらず、力以上に献げたことを語り、献金とは、主イエスに自分自身を献げることだと教えるのです。
互いの欠乏を補い合うことは「釣り合いがとれる」ことであると説明するために、出エジプトの際、マナが与えられたことを引き合いに出します。教会が導かれて来たのは、イスラエルの民が奇跡をもって導かれたのと同じようなもので、神の憐れみと赦しがあってのものです。そのしるしとして、天から与えられたマナを分けていたように、今、神から与えられたものを分けることが平等なのだ、と語ります。