19│2017年05月07日 復活節4 イエスは復活また命

週    句

キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。
コリントの信徒への手紙 二 5:17
説  教    「わたしは復活であり、命である」  :梅田 環

イエスは復活また命
ネヘ2:1~18、Ⅰコリ12:3~13、ヨハ11:17~27、詩136:1~9。

「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。
ヨハネによる福音書 11:25

 死に打ち勝つとは、死なずに済むことではなく、「死んでも生きる」ことです。死は臨みますが、屈することなく復活することが勝利なのです。イエスさまは、ご自身の中に復活の命があり、イエスさまを信じる所に、死んでも生きる命が与えられることを指し示したのでした。
 イエスさまは、マリアらの悲しみを見、泣くことしかできないと彼らに思わせている死の力に対して憤りました。人を悲しみの淵に追いやる力を打ち砕く勢いで、墓に向かったのでした。ラザロの復活は、主の復活と似ています。「わたしが復活であり、命である」(ヨハ11:25)とは、イエスさまが復活されることを予め言われたのです。
 教会はそのイエスさまを礼拝する場です。体の命を与える神を讃美するのみならず、「驚くべき大きな御業を行う方に感謝せよ」(詩136:4)、と歌い、聖霊によって「イエスは主である」(Ⅰコリ12:3)と告白し、復活であり命であるイエスさまを讃美するのです。
 教会を建てる作業もそのためで、「わたしたちは不幸の中であえいでいる。……エルサレムの城壁を建て直そうではないか」(ネヘ2:17)との呼びかけは、死からの復活をもたらす神のみ業がこの世の形になっていくことを物語っています。
 信仰が礼拝の場を創り、信じる者の群れを創ります。わたしたちの中に入り込み、生活を形創っていきます。「信じる者は、真でも生きる」と言われた方が、わたしたちを創り変え、その人生を導いていくのです。その命の主を仰ぎ、ひたすら従って生きていきたいと願わされます。